大震災の経験を次世代に

「復興を実感できる1年」公約をぜひ実行に
東日本大震災から11日で3年となりました。東京では天皇、皇后両陛下をお迎えし、政府主催の追悼式が行われましたが、県内各地でも犠牲者を悼み、各自治体や支援団体、ご遺族による追悼式がありました。
午後1時半から行われた「宮古市東日本大震災三周年追悼式」には遺族ら約700人が参列しました。式では遺族を代表し、夫を亡くした主婦が追悼の言葉を述べました。続いて地元小学生や青山学院女子短大生による献奏、地震が発生した午後2時46分、政府主催の追悼式と合わせ全員で黙祷。会場内は鎮魂の祈りに包まれました(政府主催ダイジェスト版「東日本大震災追悼式」はこちらからご覧ください)。
15,884人の尊い命を奪い、今だに2633人の行方が分からない東日本大震災。県内でも震災関連死を含めると5080名の死者、1137名の方の生存が分かっておりません。3年目を迎えた今年は「復興を実感できる1年にしていく」と安倍首相は強調しているようですが、被災者の生活再建、心のケア、健康支援、原発問題など課題は大きく残されているようです。

復興基本構想をもとに生活、産業の再建が本年の目標
地元宮古では国、県の復興支援制度に加え、「住まいと暮らしの再建」「産業・経済復興」「安全な地域づくり」の3大柱を重点的に取り組んでおります。基本構想が整った26年度からは復旧復興の工事に着手する計画のようです。震災前の暮らしを取り戻すためにも産業の再建も大切ですが、市民が安心して住める生活の再建を早め早めの最優先課題として取り組んでいただきたいところです(県の復興支援番組「牡蠣養殖業の進化したモデルを!」はこちらからご覧ください)。
今回は現時点で分かる限りの情報を入手し、現状をつぶさに見てまいりました。自分なりに「そこまですすんでいるのか」あるいは「復旧スタート時と変わってないじゃないか」という感想もあります(震災当時の記事はカテゴリーの東日本大震災をご覧ください)。
いつもより写真を中心にスペースを割いています。これは個人で見た復興の進捗状態です。阪神神戸大震災の教訓をもとに、実際はもっとはるかに復旧しているかもしれません。長くなりますが、どうぞ最後までお付き合いのうえ、ご覧ください。

宮古市東日本大震災三周年追悼式
追悼式
3回目を迎えた「東日本大震災追悼式」は3月11日午後1時半より、同市の総合体育館において、ご遺族、関係者等約700名が参列し、開催されました。

式辞 追悼の言葉
主催自治体の山本正徳宮古市長より式辞。遺族を代表して主婦の佐々木雅子さんより「震災を経験した私たちだからこそ次世代に伝えていきたい」と追悼の言葉がありました。

献奏(青山学院女子短大) 献奏(千徳小学校)
東京青山学院女子短大聖歌隊のハンドベルと地元小学生の合唱による献奏がありました。

手話通訳 黙祷
政府主催追悼式の同時放映の間、耳の不自由な方には手話による通訳が。地震の発生した午後2時46分、全員で黙祷。犠牲者を慰霊しました。

献花ご遺族、関係者をはじめ参列者全員で献花。犠牲となられた500体余の骨柱を供養しました。








2011.3.11魔の手に飲み込まれた三陸
津波の襲来253
幹線道路津波が襲来した市役所前の海からは海水が湧きあがるように防潮堤を乗り越え、市役所は2階まで浸水しました(写真借用)。今は当時の恐怖もなかったように車は走り抜けております(写真左)。




JR列車 JR津軽石駅
駅に停車中の列車が津波で押し流されました。まさか、あの重量を誇る列車までが…(写真借用)。JR山田線津軽石駅も津波の急襲には耐えられませんでした。今は窓や出入り口にベニヤ板を貼り、JR東日本の無人管理駅となっております。JR山田線の宮古、釜石間は今なお不通が続き、代替のバス輸送で急場を凌いでいます。

津波襲来 津波被害
湾の外から押し寄せる不気味な津波(写真借用)。その後一瞬にして町は泥沼化してしまいました(写真借用)。

三王岩遊歩道 たろう観光ホテル
奇岩名勝の三王岩へ続く遊歩道も寸断。鉄製の手すりもグニャリ。田老地区唯一の観光ホテルも10mを超す防潮堤を乗り越えた震災で被災。津波の猛威を教訓として残す震災遺構が決まりました。


未曾有の大震災を乗り越えて
清水寺管主書
昨年5月田老の常運寺に来訪された清水寺の森清範管主が書かれた「光」(写真借用)。失望のどん底に喘ぐ住民に希望の光をいただきました。


浄土ヶ浜(震災直後 浄土ヶ浜(復旧後
陸中海岸国立公園の代表的な名勝、「浄土ヶ浜」にも大震災による亀裂が入りました。復旧した今は「三陸復興国立公園」として何事もなかったように観光客をおもてなししております。

道の駅な~ど(被災直後) 道の駅な~ど(新)
宮古湾の目の前にある「道の駅な~ど」、津波で2階まで浸水。昨年7月、復活するまで約2年半のブランクがありました。

宮古魚市場(震災直後) 宮古魚市場(新)
「道の駅な~ど」と隣り合わせにある「宮古市魚市場」。震災後は水揚げが激減しました。復旧した今は震災前の活気を取り戻しております。漁業の町、宮古にはなくてはならない元気の元です。

仮設住宅 復興住宅
仮設住宅の退去者は減っておりながらも、2年の居住期限を過ぎてさらに延長している被災者もおります。市内各所には復興住宅の建設が進んではおりますが、高台などを希望する一般住宅の場合、建築会社の過密スケジュールに加え人材不足が続き、県外からの応援に宿泊費が加算されるなど、建設費用は膨大になるようです。

復興道路 浄土ヶ浜遊歩道
海岸線を縦断する国道45号線、沿岸と内陸を結ぶ国道106号線は緊急の場合の重要アクセスで、復興道路として早急な整備が求められています。また、津波で喪失した浄土ヶ浜の遊歩道は日本ジオパークに認定されると同時に整備。浄土ヶ浜の名勝を歩いて観賞できるようになりました。

被災地見学ツアー 田老写真展
震災の爪跡をご覧いただこうとバス見学が企画され、参加者には田老の防潮堤に昇り、被災した町や漁港などを見学していただいております。また写真展では津波の恐怖をご覧いただくため、震災当時から最近までの町の動きを展示。この日11日には、公民館内で津波の語り部として自ら被災した田畑ヨシさんが、紙芝居を使って高台に避難した様子を語り継いでくれました。

三陸鎮魂復興祭 鮭あわび祭り
昨年9月、浄土ヶ浜の景勝地を背景に歌舞伎界の中村勘九郎、中村七之助兄弟らをお迎えし「三陸鎮魂復興祭」が行われました。息の合ったお二人の活気あふれる舞台に観衆を魅了。また毎年地元主催による「鮭あわび祭り」を開催。被災者に喜んでいただくためにも、心のケアを大切にしています。


皆さんの暖かい応援を生きる糧として、復興へ一歩一歩努力しております。これからも長い目で応援いただきますようお願いします。


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あの恐怖から2年 甦れ東日本大震災被災地

3月11日東日本大震災二周年追悼式挙行
2011年3月11日。顧みたくもないあの忌わしい未曾有の東日本大震災が発生した魔の1日。町は一瞬にして暗黒の世界に姿を変えてしまいました(詳しくは過去記事2011年3月23日「東北・関東大震災地獄絵巻」を参照)。
あれから昨日で満2年。冷たい風が吹き荒ぶなか遺族ら約1000人が参列し「宮古市東日本大震災二周年追悼式」が、3月11日市民総合体育館で執り行われました。午後1時30分から始まった追悼式には、犠牲となった517名のご家族と一般の方々が参列、御霊に手を合わせ、冥福を祈りました。

追悼式①

追悼式では山本正徳宮古市長の御霊に捧げる式辞をはじめ、遺族を代表して佐々木なおみさんが、夫を失った悲しみの日々を訴えました。さらに会場内では、市内の津軽石中学校全校生による追悼と復興への思いを込め、中学生とは思えないすばらしい合唱を披露。

追悼式② 追悼式③

この日、国の主催する東京国立劇場の「東日本大震災二周年追悼式」が中継され、会場の大スクリーンに映し出された天皇皇后両陛下、安部晋三首相の追悼の言葉に、参列者全員神妙に聞き入りました。

追悼式④

またこの追悼式では、昨年の地元一周年追悼式で哀悼の言葉を述べた高校生の山根りんさんが、今年は岩手県代表として国立劇場の追悼式で母を亡くした悲しみとともに、ご支援いただいた多くの皆様に、臆することなく堂々と落ち着いて感謝の気持ちを表しました。

追悼式⑤

そして大地震の発生した午後2時46分、犠牲者の御霊に冥福を祈り、参列者全員で黙祷。今だ行方が分らない94名の方々の安否も気遣われるところです。その後、式は参列者全員により菊の花による献花。犠牲者全員の名前が刻まれた祭壇の前で手を合わせ、ご冥福を祈っておりました。

追悼式⑥

復興への基盤はマイホームから
短いようで長かったこの2年。仮設住宅生活が続く11万人ともいわれる被災者には、一向に進まない復興計画に焦りの色が出始めています。当初2年間の予定だった仮設生活も復興遅延のため住宅建設に目処が立たず、延長を余儀なくされております。全財産を津波で流失し、建設資金不足と老齢化による老老介護などに不安を抱えているご年配の方も大勢見受けられます。

大震災で住居を失い、やむなく他の地域に移り住んでいる元住民も、規制されている住宅建設遅延に戻るに戻れない状態が続いておりました。復興住宅が建ち始めた最近では他地域に避難していた元住民も戻りたいという方が増えているようです。
東京在住の知人も定年退職を機にUターンするつもりでしたが、震災で自宅を流失。再建にも地元に住んでなかったということで、罹災補償を受けられませんでした。また被災地の流失家屋跡地には2度と住みたくないと、海から離れた土地を希望。建設規制のない内陸部に土地を買い求め、住宅建設を進めている方もおります。

そういった避難生活による疲労など、震災関連死といわれる方々も増えております。こういった方々には心のケアが必要で、救えるはずの命を失っているのです。

安部政権 復興予算を25兆円に増額
安部政権は復興予算を19兆円から25兆円に増額し、早期の復興に期待しております。しかし、現実的には復興に関わる建設資材の高騰や職員不足などで、思うように進んでいないようです。このため当初の復興予算を消化できず、翌年度に繰り越すケースも見受けられます。

これまで復旧工事に必要だった生コン不足も復興遅延の一因でした。そのため、ビルの建設をはじめ、高波から住宅地を防護する防潮堤などの建設に支障が出ています。また、大工さん不足もあり、住宅建設も遅れております。家屋やビルの解体業者も連日多忙で手が回らず、半壊したビルが今でもそのまま残っているところもあります。
復興予算を使いきれず翌年に繰り越しているのは、自治体のせいばかりではないようです。

皆さまの善意が4,649億円! 感謝です
こうした中、国の復興予算とは別に国内外から多くの善意が届けられています。2月現在で日赤を通じ寄せられた義援金は約3,649億円に上るそうです。海外からも約1,000億円の支援金が寄せられ、被災者に現金で支給したり、仮設住宅で暮らす方々の生活家電などに寄贈されています。一時義援金の遅配などで問題がありましたが、今は国や関係機関との協議で改善されてきております。

また震災直後はパトカーや救急車、自衛隊の医療班など全国各地から応援いただき、救護活動にご協力いただきました。当時は連日連夜サイレンの音が鳴り響いたり、10数台隊列を組んで走るカーキ色の自衛隊車に奇異を感じていました。病院不足、医師不足、看護士不足は今でも続いており、老齢化による仮設住宅在住者の通院問題は解決されていないようです。

まだまだ被災地は交通アクセスや港湾整備、漁業関連、瓦礫処理など問題は山積しておりますが、少しずつ皆様から頂いた気持ちを形にしていきたいものと、被災地に住む者として1日も早い復興を願っております。


参考資料:読売新聞


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被災地の復興 屋台村の開業で明るい兆しも

梅雨の末期に来て梅雨前線が活発化。九州ではこれまでに経験したことのない豪雨に見舞われ、河川の氾濫や住宅浸水、土砂災害が発生。犠牲者が多数出ている模様です。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
河川の氾濫による濁流で木の葉のように流されていく車を見ていると、まるで昨年の東日本大震災による津波で押し流された車や漁船を思い出してしまい、やるせない気持ちでいっぱいです。自然の脅威をまざまざと見せつけられますね。

復興屋台村 気仙沼横丁
気仙沼横町はラーメン、寿司、まぐろ料理などの屋台や鮮魚、海産物の物販で賑わっていた。

東日本大震災から490日経った昨日7月14日、被害の大きかった気仙沼をはじめ陸前高田など三陸沿岸一帯の被災地を視察してきました。被災者の皆さんは懸命に復旧復興に勤めているようですが、1年4ヶ月経った今でも当時の爪跡があちこちに残っています。廃墟になったビルはその残骸をさらけ出し、住宅地に打ち上げられた船舶は今だに撤去されず、町には瓦礫の山が築かれていました。行政の遅れが目立っているようにも感じます。

岩手県宮古市の復興まちづくり計画によれば、平成28年度までに730戸の災害公営住宅の建設が予定されています。今回の震災で住家を損壊(全壊、半壊)した世帯は1700。このうち自力あるいは補助金で再建できる方を除いても730戸数で間に合うのだろうか。被災者は高齢者が多く、自宅の建設のために今さら住宅ロ-ンなど組めない。アパートや公営住宅でのんびり暮らしたいと、一戸建て住宅建設には消極的だと聞いています。

今なお海岸線一帯の鉄道は不通となっています。復旧の目処はいまだに立っていません。JR東日本では不通になっている鉄道路線を改良工事し「バス高速輸送システム」(BRT)を計画しているようですが、ルートの大部分は鉄道と並行して走る国道45号線利用が大半の8割。今は草が生い茂っている線路を舗装化し、バスを通す計画のようですが、流された鉄橋の多いこの地帯をバスが走ることは困難。このため既存の国道と併用するようですが、渋滞や迂回路などを考えると高速とはいえないですよね。
鉄道完全復旧を目指す住民側との大きな隔たりがあるようです。

漁船と観光バス
近くに急造されたコンビニ前には、打ち上げられた漁船を1度見ようとする観光客用のツアーバスが停車。

紆余曲折の問題が山積している復興計画ですが、宮城県の気仙沼港には津波でほぼ100%流された飲食店が再興を期し、「復興 屋台村 気仙沼横丁」を開業・運営しておりました。津波で流された飲食業主の仮設20店舗程が並ぶ気仙沼横丁には以前の活気が戻り、地域の復興にとどまらず、観光客が集まる「被災地の観光化」の第一歩にしていくと、意気込んでいるようです。明るい話題の一つですね。
また気仙沼湾の湾奥、1km程離れ住宅地に打ち上げられた大型漁船が、今も写真のように居座っていました。当時は数隻の大型漁船が家屋やビルをなぎ倒しながら、5m程の津波に押し流されたそうです。今も残っている長さ80m程ある大型漁船は観光名所にもになっていました。高知県船籍のため地元では手の打ちようがないと物議を醸しているようです。しかし被災地も目ざといですね。ほとんど住宅もないこの大型漁船の近くにプレハブでコンビニを作り、観光バスを相手に商売をしている逞しい根性。見上げたもんです。

カーフェリー
この日就航したフェリーは離島大島の島民生活支援と観光客輸送が目的だ

気仙沼市内と離島大島をつなぐ新しくなったカーフェリーが、朽ち果てた桟橋を横にこの日就航。島民の生活と観光客の誘致にこれから活躍が期待されそうです。大島には1度行ったことがありますが、ケーブルカーで山頂に登ると、気仙沼市内と太平洋が一望に見渡せる眺望のいい観光ポイントです。

陸前高田橋
高田松原IMG_8573 募集看板IMG_8557
津波で流された国道の橋は新しく完成。その手前には旧橋の橋脚だけが残っていた。高田松原(写真左下)は松が生い茂る美しい砂浜だった。復興に向け社員を募集する看板には津波にも負けず生き抜いた1本松のような力強い人を呼び掛けていた(写真右下)。

三陸沿岸の主要道路でもある国道45号線。観光に産業に欠かせない道路でありますが、壊滅状態となった陸前高田市の橋が流され、交通が寸断。今は新しい橋も開通、以前と変わらぬ程に復旧しました。以前は松の木が生い茂る美しい海水浴場として人気スポットだった高田松原の海岸を横目にドライブしていました。昨年京都の大文字焼に放射線で汚染された松の薪を使用する、しないで物議をかもしたところですね。

まだまだ大震災の完全復旧には長い年月がかかるでしょう。「ふんばれ東北」。



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