除夜の鐘で残された遺族の煩悩を払う

 108つの鐘の音に心が安らぐか


母が逝ってからはじめて迎えた正月だが、仏事的には何の行事もない暮れのはずだ。ところが、自分の帰省を待ち受けていたように、その年に故人を見送った檀家が檀那寺の寒い本堂に集まり、住職のありがたいお経を聞きながら供養するのが、この地域の慣わしなそうだ。                                                        大晦日の深夜11時に集まったご喪家は、50~60名位。一喪家から2~3人位参加していた様子だから、20~30軒位のご喪家だろうか。                                   残された遺族は大なり小なり迷い、条理を108つ持ち抱えており、その煩悩を鐘に託し、突き払うという意味から除夜の鐘を突くのだというご住職の法話を聞いた後、鐘楼に案内され、除夜の鐘1人1人突きながら思い思いに供養する。


寒空の中、順番待ちで冷え切った身体を自ら摩りながら、突いた鐘で遺族の煩悩払い除けられたのだろうか。人々は除夜の鐘を突くと言う行為だけに関心が向けられて、亡くなった故人の供養が忘れられていたような気がしてならない。                                  供養するとか、煩悩を払うとかいうけれど、こんなことで供養できるのだろうか。煩悩を払うことができるのだろうか。


理解できない、納得できないが、これこそが宗教を信じることによる心の安らぎとでもいうのだろうか。                                                                                                 


あの世から見つめている母は、我々の行為をどう感じているのだろう。

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