東北唯一の平庭闘牛大会

年3場所行われている岩手県久慈市の闘牛大会。
今年の闘牛の幕開けとなる「全国闘牛サミットin久慈大会」が、6月12日平庭高原の闘牛場において開かれました。
闘牛は新潟や沖縄、鹿児島、愛媛などでも行われていますが、東北で行われるのは唯一ここ平庭高原だけ。

①闘牛大会

昔、沿岸と内陸を結ぶ野田街道通称塩の道で塩と鉄などを物々交換しており、その時の交通手段が日本短角牛だったのです。
短角牛は赤べこともいわれ、丈夫な体に穏やかな性格が特徴です。群れをなす牛は強いものに従属する習癖があり、そのリーダーを決め、群れを統率するため角突きが行われていました。これが平庭闘牛の起源なんですね。
険しい山間地を乗り越え、物資を運んだ塩の道のコースに平庭高原があったところから、昭和35年ここ平庭高原で最初の闘牛大会を催すことになったんですね。

この日の闘牛大会には闘牛の本場でもある新潟県や沖縄県、鹿児島県からも参戦し、32頭が角を突き合わせました。横綱クラスの闘かいになると両者共1トンを越す体重でぶつかり合い、ガツン、ガツンと重い地響きにも似た迫力があります。

②闘牛大会頭と頭を合わせ、角をがっちり組み合わせています。力いっぱい押し合ってる感じですね。前頭クラスの両者ですが体重は700~800㎏、合わせて1.5トンもあります。
闘牛を駆り出す勢子(せこ)の「さ~、さ~、行け~」の気合で熱が籠ってきました。

③闘牛大会手前の牛から仕掛け始めました。
真正面から相手の角を左右に払いのけながら、額を攻めている感じです。
勢子の動きも素早くなってきました。油断をしていると1.5トンを超す闘牛に押し倒されてしまいます。


④闘牛大会押された牛も力を入れ直して押し返し、両者小康状態に入りました。
少し動きの止まった両者に、勢子から再度の気合い。「さあ~、行け~」。




⑤闘牛大会お互いの動きを牽制し、次の作戦を考えているのでしょうか。角合わせの状態が続いております。
この日3000人を越す観衆から「行け~、行け~」などと、多くの女性ファンからも声援が飛んでいます。



⑥闘牛大会次の瞬間、手前の牛が仕掛けました。
自分の角を相手の角にあてがい、力でねじっているようです。まさにねじりという技のようです。
力のこもった激しい動きに土煙が上がり、両者一歩も引けを取りません。

⑦闘牛大会この日の暑さのように観衆にも熱気が籠もり、やんやの拍手喝采が闘牛場内に響き渡ります。
勢子の動きも活発になり、場内を右に左に走り回ります。




➇闘牛大会時間にして僅か数分。攻防が続く中で、両者の息遣いが伝わってきます。
闘牛の寿命は15~6歳といわれておりますが、この一番は7,8歳同士、中堅どころです。最高のパフォーマンスを演じてくれました。


⑪闘牛大会
最後は両者土俵の中央に戻り、突き合わせの状態に。ここで、勢子から手が上がり、戦いを終了。両者引き分けです。
手に汗を握るようないい戦いでした。再び観衆からは拍手とねぎらいの声が飛び交いました。「よくやった」「頑張った」。
平庭闘牛の場合は勝負を付けず、引き分けが原則です。怪我をさせてはならないという飼育家への配慮でもあるようです。


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下の<続きを読む>をクリックすると、二十四節気の夏至と七十二候の第二十八候から第三十候まで、夏至前後の「季節の彩り」をご覧いただけます。
ご興味のある方はごゆっくりご覧ください。



楽しめた記事にはお気持ちの1クリ~ックを。



二十四節気
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第十節気 夏至 げし      6月21日~7月6日

一年の中で最も昼間が長く夜の短い日で、日の出(日出)・日の入り(日没)の方角が最も北寄りになる時季をいいます。北回帰線上の観測点から見ると、夏至の日の太陽は正午に天頂を通過します。
冬至(12月21日頃)に比べると、昼間の時間差は4時間50分もあります。暦の上では夏にあたりますが、実際には梅雨でうっとうしく、長い昼の実感を味わえません。この頃の早朝は4時前に明るみ出し、夕方7時過ぎでもまだ薄明るさが続きます。このため、夏至は別名、日永(ひなが)とも呼ばれています。
北海道へ行くにしたがって、昼の割合が大きくなり、太陽が1日沈まない北極圏では全域で白夜になります。逆に南極圏では全域で極夜になります。白夜を経験された方のお話では、朝はなくずっと明けたままで地表が温められ温度が上昇、暑苦しく、しかも蚊が大量に発生するそうです。
北欧ではこの日を特別な日として各国で盛大に夏至祭を行ないますが、日本で夏至祭を楽しむ風習はあまりありません。梅雨寒などで気温の上昇が抑えられながらも、恵みの雨によって草や木が緑を深くして行くのがこの時季です。



七十二候IMG
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第二十八候 乃東枯 なつかれくさかるる       6月21日~6月25日

夏になると黒く枯れていく「夏枯草(かこそう)」。別名「靫草(うつぼくさ)」とも呼ばれ、田舎の日当たりのいい田んぼの畦や草地で見かけることができます。冬至の頃に芽を出すこの草の花期は6~8月頃。それを過ぎると花は枯れ、黒色化した花穂が夏枯草と呼ばれる由縁のようです。他と違った生命活動をするところから乃東枯として、七十二侯に取りいれられたと推測されます。枯れた花穂は漢方として用いられます。
この時期の言い伝えとして、ある地方には、「夏至はずらせ 半夏(はんげ)は待つな」という言葉があります。半夏とは、夏至から11日目のことで、田植えは夏至より少し遅く、半夏よりは前に終わらせようという習わしのようでもあります。


第二十九候 菖蒲華 あやめはなさく        6月26日~6月30日

稲作には水が必要で、雨を望む農家ではあやめの開花を見て、梅雨を知ったといいます。この頃を江戸時代には菖蒲華(あやめはなさく)と呼んでいました。どちらも優れていて、選択に迷うことを「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」と表現しますが、現在の菖蒲華頃には開花時期を終えています。むしろこの時季は、紫陽花(あじさい)が梅雨の花に相応しく、その見事な花を開いています。
「紫陽花や きのふの誠 けふの嘘」と正岡子規が詠んでいますが、白に始まり、青、紫、淡紅と色が七変化していく紫陽花は、人の心の移ろいやすさに例えられているようです。


第三十候 半夏生 はんげしょうず         7月1日~7月6日

七十二候の半夏生は中国から伝えられたもので、七十二侯から取りいれられた雑節の半夏生は日本の生活に必要なものとして独立して暦に組み入れられたものです。
「半夏生」は半夏という植物が生える日。この日は天から毒気が降り、地上に毒が満ちる日とされていました。このためこの日に採った山菜や野菜は食べてはならないとか、井戸から水を汲んではいけないなどの言い伝えもあります。
この頃に降る「半夏雨」(はんげあめ)は、梅雨の後半にあたり大雨になることがあります。この日までに農作業を終え、この日から5日間を休みとするところでは、勤勉な農民に対する骨休めとしたのかもしれません。



季節の彩り
四季の彩りを添えてまいります。



雑節 半夏生 はんげしょうず         7月1日

20160619半夏生半夏生とは二十四節気、五節句以外の雑節です。夏至を3つに分けた最後の3分の1の期間、いわゆる七十二候でも半夏生ずと呼ばれています。半夏生ずは夏至から数えて11日目の7月1日頃から7月5日頃までの5日間をいいます。この日までに田植えをしないと「半夏半作」といって例年の半分の収穫しか上げられないといわれ、江戸時代の農家にとっては重要な雑節でした。
「半夏」とは水辺に生える烏柄勺(からすびしゃく)というサトイモ科の多年草で、半夏生とはそれが生える時期のことで、葉の半分ほどが白く、化粧しているように見えるところから「半化粧」「片白草」とも呼ばれています。
半夏生ずには、さばや小麦の餅、蛸など、各地域でさまざまなものを食べる風習があります。ここにも日本の文化が垣間見られるようです。
詳しくは過去記事「農作業終えゆっくり休める半夏生」をご覧ください。 


夏越の祓い

20160619夏越のお祓い昔、宮廷で行われていた12月晦日の「年越しの祓い」と6月晦日の「名越し(夏越し)の祓い」の年2回の大祓い。心身を清めてお盆を迎える夏越の祓いは大切な節目の行事として、民間にも伝わるようになりました。
夏越の祓いでは、チガヤという草で編んだ茅の輪を8の字を書くように左回り、次に右回り、最後にもう1度左に回って3度くぐり抜け、上半期の病気や災いなどの厄を落とし、下半期の心身を清めます。茅の輪をくぐることによって、寿命が千年延びるともいわれています。また茅の輪の茅を1本引き抜き輪を作って持ち帰ると、夏の災厄を避けられるともいわれております。
各家庭で行われていた茅の輪くぐりは、今では神社だけで行われるようになり、地域によっては1ヵ月遅れの7月31日に行われるところもあります。
詳しくは過去記事「猛暑に向けて心身を清める夏越の祓い」をご覧ください。


お中元

20160619お中元お中元は日頃の感謝の気持ちや健康を気遣う気持ちなどを物に託して伝えるものです。贈る人の割合は20代以上で9割を越えており、かなり定着している慣習です。贈る時期は7月初旬から15日頃まで。ただし、関西地方や東北地方などでは一月ほど遅れて贈るところもあるようです。
古代中国には道教の天神信仰があり、上元(1月15日天神様)、中元(7月15日慈悲神様)、下元(10月15日水と火を防ぐ神さま)の三元の日に天神を奉ったそうです。このうち7月15日の中元の慈悲神様が仏教の「盂蘭盆会」(うらぼんえ)の行事と結びつきました。日本に伝わってから仏に供えるお供物を親戚や隣近所に贈る習慣となりました。この慣わしが江戸時代になり、お世話になった人へ感謝の気持ちを込めて贈りものをする風習として定着したのです。
詳しくは過去記事「お中元は夏の元気なご挨拶」をご覧ください。 


100万人のキャンドルナイト

20160619キャンドルナイト2003年からはじまった「100万人のキャンドルナイト」は、環境に対する取り組みのひとつで、夏至の夜は電気を消してロウソクを灯すというイベントです。
東日本大震災による電力不足のため、環境省が提唱した「節電ライトダウン2011」とあいまって、企業やお店によっては照明の消灯や、オフィス、商業店舗などでは減灯を実施するようになりました。年を重ねるごとに日本全国に広く大きく成長してきているようです。
「夏至の夜8時からの2時間、皆で一斉に電気を消しましょう」、が合言葉の「100万人のキャンドルナイト」。スローライフが時流にあったこともあり、瞬く間に広がったのでしょう。趣旨に賛同して参加をメールすると、事務局からメッセージ返信と共に住所地付近のボードに明かりが灯るそうです。
詳しくは過去記事「最も昼が長い夏至です」をご覧ください。 

つりがね洞

20160619つりがね洞朝の連続テレビドラマ、あまちゃんで全国に名を馳せた北三陸の久慈。市中心部から車で約15分の小袖海岸は断崖と岩礁続きの景勝地です。奇岩の連なる海岸線、狭く曲がりくねった道のトンネルを抜けると、目の前に洞穴から日が昇る「つりがね洞」が飛び込んできます。
ここから夏至の前後1週間、早朝4時過ぎに神秘的な日の出の天体ショーが繰り広げられます。
かつては洞穴の天上から釣り鐘の形をした岩がぶら下がっていたそうです。明治29年の津波でこの釣り鐘型の岩が破壊され、現在は大きな洞穴だけが残っております。先の東日本大震災もここ小袖海岸を襲い、その時床部分の岩が押し流され、さらに穴が大きくなったそうです。ゴツゴツとした地層の「つりがね洞」は北三陸久慈の代表的な景勝地として、観光客が絶えません。
詳しくは過去記事「洞穴から神秘的な夏至の日の出」をご覧ください。 

やませ

20160619やませ梅雨の終わりごろから真夏にかけ、関東から東北の太平洋側沿岸では霧の発生する日が多くなります。いわゆる海霧と呼ばれる霧で、地元では山背(やませ)と呼んでおります。
この時季北東の風は、千島海流の冷たい親潮の上を渡って内陸部に達します。冷たく湿った風は霧を伴い、海難事故を引き起こしたり、時には何日も続くと日照不足や冷温により農作物に被害をもたらすことがあります。
三陸沿岸では、昔から「冷害風」とか「餓死風(がしふう)」と呼ばれて恐れられている風です。
やませが発生すると濃霧が湾内一帯を覆い尽くし、通常良く見える標高400m程の半島も霞んで見渡せなくなります。深い時は海面ギリギリまで覆い尽くされ、前方の見通しが利かないところから航行する船も慎重になります。天然のエアコンとも呼ばれるやませは、農家だけではなく漁船にとっても怖れられているのです。
詳しくは過去記事「ゲリラ豪雨と成り代わった夕立」をご覧ください。 


山開き

20160619山開き6月から7月にかけては全国各地で「山開き」「海開き」「川開き」が行われます。
もともとは山開きが最初で、かつて名のある山は信仰の対象で普段は登拝が禁じられていました。限られた期間のみ登拝が許可され、その解禁日を山開きと呼んでいたのです。
霊峰富士といわれる富士山は信仰の対象であると同時に、容易に行けない聖地でした。ただし、夏の一定期間だけ信仰行事として解禁され、山登りの時には「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」を口々に唱えていました。これが「山開き」の起源だったのです。
富士山では毎年7月1日、木曽の御岳では7月10日、岩手山は6月15日に、麓の名山を祀る神社で「山開祭」「開山祭」などの行事をとり行ないます。山開きに倣ったのが海水浴の解禁日である海開きや納涼や水難防止を祈願する川開きもこの時期行われます。
詳しくは過去記事「夏だ!花火だ!山開き 川開き 海開き!」をご覧ください。 



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愛媛県宇和島市に江戸時代から続く闘牛があり
昭和初期では宇和島近辺のあちこちで行われた、と聞きました

育った集落から20kmほど南に、宇和島市立闘牛場があるのですが
見たことは一度もありません

野田塩は有名ですね
野田村へ行った時にみやげ物で、
いろんな野田塩加工製品を知りました

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Re: FREUDEさんへ☆彡

宇和島の闘牛とか、新潟県の山古志、小千谷は有名ですよね。
まだ見たことないですが、話に聞くとかなり壮絶だそうです。
そういう闘牛を見てる方々にとって、久慈の闘牛は物足りないかもしれません。
勝ち負けをつけませんから見てる側にとってもすっきりしないでしょうね。

野田にとっての特産品がないですから、昔からの製塩に注目し商品開発したんだそうですね。
今や塩アイスだとか塩製品の土産品が売りに出されているようです。

  • |2016.06.25(Sat)
  • |matsuyama
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こんばんは

大きな体の牛たちの闘牛、なかなかの迫力がありますね!
外国の闘牛と違って何か安心してみていられるのはけがをさせないで引き分けるところにあるのかもしれませんね。写真からもその雰囲気が伝わってきました!
  • |2016.06.26(Sun)
  • |見張り員
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Re: 見張り員さんへ☆彡

いま東北では熊の出没が耳目を引いてます。犠牲者も何人か出てますからね。
それに比べて闘牛は安心できます。昔は家畜でしたからね。人間と一体化した暮らしをしてました。猛獣の熊とは違います。
もっとも熊も家畜として熊小屋で飼っていたら今のような獰猛さはなかったと思うんですけどね。

塩原太助の愛馬青のお話ではないですが、家畜として飼っている牛には愛着が沸いてくるんでしょうね。闘牛を戦って牛の権威を勝ち取りたいけど、怪我をしてほしくはない。一緒に暮らしていて身に付いた飼い主の愛情ですよね。
外国の闘牛士とは違います。飼い牛には並々ならぬ優しがあるようですね。
  • |2016.06.27(Mon)
  • |matsuyama
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