あの恐怖から2年 甦れ東日本大震災被災地

3月11日東日本大震災二周年追悼式挙行
2011年3月11日。顧みたくもないあの忌わしい未曾有の東日本大震災が発生した魔の1日。町は一瞬にして暗黒の世界に姿を変えてしまいました(詳しくは過去記事2011年3月23日「東北・関東大震災地獄絵巻」を参照)。
あれから昨日で満2年。冷たい風が吹き荒ぶなか遺族ら約1000人が参列し「宮古市東日本大震災二周年追悼式」が、3月11日市民総合体育館で執り行われました。午後1時30分から始まった追悼式には、犠牲となった517名のご家族と一般の方々が参列、御霊に手を合わせ、冥福を祈りました。

追悼式①

追悼式では山本正徳宮古市長の御霊に捧げる式辞をはじめ、遺族を代表して佐々木なおみさんが、夫を失った悲しみの日々を訴えました。さらに会場内では、市内の津軽石中学校全校生による追悼と復興への思いを込め、中学生とは思えないすばらしい合唱を披露。

追悼式② 追悼式③

この日、国の主催する東京国立劇場の「東日本大震災二周年追悼式」が中継され、会場の大スクリーンに映し出された天皇皇后両陛下、安部晋三首相の追悼の言葉に、参列者全員神妙に聞き入りました。

追悼式④

またこの追悼式では、昨年の地元一周年追悼式で哀悼の言葉を述べた高校生の山根りんさんが、今年は岩手県代表として国立劇場の追悼式で母を亡くした悲しみとともに、ご支援いただいた多くの皆様に、臆することなく堂々と落ち着いて感謝の気持ちを表しました。

追悼式⑤

そして大地震の発生した午後2時46分、犠牲者の御霊に冥福を祈り、参列者全員で黙祷。今だ行方が分らない94名の方々の安否も気遣われるところです。その後、式は参列者全員により菊の花による献花。犠牲者全員の名前が刻まれた祭壇の前で手を合わせ、ご冥福を祈っておりました。

追悼式⑥

復興への基盤はマイホームから
短いようで長かったこの2年。仮設住宅生活が続く11万人ともいわれる被災者には、一向に進まない復興計画に焦りの色が出始めています。当初2年間の予定だった仮設生活も復興遅延のため住宅建設に目処が立たず、延長を余儀なくされております。全財産を津波で流失し、建設資金不足と老齢化による老老介護などに不安を抱えているご年配の方も大勢見受けられます。

大震災で住居を失い、やむなく他の地域に移り住んでいる元住民も、規制されている住宅建設遅延に戻るに戻れない状態が続いておりました。復興住宅が建ち始めた最近では他地域に避難していた元住民も戻りたいという方が増えているようです。
東京在住の知人も定年退職を機にUターンするつもりでしたが、震災で自宅を流失。再建にも地元に住んでなかったということで、罹災補償を受けられませんでした。また被災地の流失家屋跡地には2度と住みたくないと、海から離れた土地を希望。建設規制のない内陸部に土地を買い求め、住宅建設を進めている方もおります。

そういった避難生活による疲労など、震災関連死といわれる方々も増えております。こういった方々には心のケアが必要で、救えるはずの命を失っているのです。

安部政権 復興予算を25兆円に増額
安部政権は復興予算を19兆円から25兆円に増額し、早期の復興に期待しております。しかし、現実的には復興に関わる建設資材の高騰や職員不足などで、思うように進んでいないようです。このため当初の復興予算を消化できず、翌年度に繰り越すケースも見受けられます。

これまで復旧工事に必要だった生コン不足も復興遅延の一因でした。そのため、ビルの建設をはじめ、高波から住宅地を防護する防潮堤などの建設に支障が出ています。また、大工さん不足もあり、住宅建設も遅れております。家屋やビルの解体業者も連日多忙で手が回らず、半壊したビルが今でもそのまま残っているところもあります。
復興予算を使いきれず翌年に繰り越しているのは、自治体のせいばかりではないようです。

皆さまの善意が4,649億円! 感謝です
こうした中、国の復興予算とは別に国内外から多くの善意が届けられています。2月現在で日赤を通じ寄せられた義援金は約3,649億円に上るそうです。海外からも約1,000億円の支援金が寄せられ、被災者に現金で支給したり、仮設住宅で暮らす方々の生活家電などに寄贈されています。一時義援金の遅配などで問題がありましたが、今は国や関係機関との協議で改善されてきております。

また震災直後はパトカーや救急車、自衛隊の医療班など全国各地から応援いただき、救護活動にご協力いただきました。当時は連日連夜サイレンの音が鳴り響いたり、10数台隊列を組んで走るカーキ色の自衛隊車に奇異を感じていました。病院不足、医師不足、看護士不足は今でも続いており、老齢化による仮設住宅在住者の通院問題は解決されていないようです。

まだまだ被災地は交通アクセスや港湾整備、漁業関連、瓦礫処理など問題は山積しておりますが、少しずつ皆様から頂いた気持ちを形にしていきたいものと、被災地に住む者として1日も早い復興を願っております。


参考資料:読売新聞


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こんばんは

もう二年、まだ二年。

あの日の阿鼻叫喚から不死鳥のごと、よみがえれ。
新しき翼広げて、愛しきたくさんの命その胸に秘め。
たくさんの涙紡いで、還らぬ命を此岸につなぎとめよ。
残りしものたち手を携え明日へ歩もう。
  • |2013.03.12(Tue)
  • |見張り員
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資材高騰も足枷だったんですね。
それは知りませんでした。

アベノミクスの弊害かもしれませんが、
何らかの優遇措置を講じなければダメなんでしょうね。
  • |2013.03.13(Wed)
  • |itchann
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おはようございます。

あの日から2年、私が住んでいるマンションの復旧工事は完了
したものの、近隣を見回すとまだこれからというところも見受
けられます。
うちも家の中の工事をマンションの工事に合わせてやりたいと
思っていましたが、未だ工事会社の手不足等で具体化の段階に
至っておりません。
国の復興予算がついても具体化できないというのも、結局これ
と同じことなのではないかと思います。
要は需要と供給のバランスの問題なのでしょうけど、我々個人
にしても地方行政にしてもその力には限度があるわけで、もう
少し大局的な見地から調整機能を発揮してもらえないものかと
悶々としている今日この頃です。
  • |2013.03.13(Wed)
  • |茶々
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2年ですね・・・
まだまだ、なんにも、すすんでいないようで・・

いろいろ、大変だとは思いますが・・
少しでも、早い復興を願うばかりです。

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Re: 見張り員さんへ☆彡

素晴らしい励ましのお言葉ありがとうございます。
この力強いお言葉を胸に秘め、明日への希望のために生きていきたいと思います。

毎日仮設住宅や瓦礫、流失した家屋跡地を見ていると、この2年は長く感じました。
忘れようにも、目の前に悲惨な光景が映ると当時の悲劇が甦ってきますよね。
残された遺族の方々に少しづつ笑顔が戻ってきているのが、せめてもの救いだと思います。
他の被災地ではもっともっと悲惨な暮らしに耐え忍んでいるのですからね。
ブログに興じている自分はまだいい方でしょう。
  • |2013.03.13(Wed)
  • |matsuyama
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Re: itchannさんへ☆彡

家を建てるにも地元の製材工場、木材置き場も被害に遭い、建築資材は他所から仕入れなければなりません。資材運搬用の車も流失しました。人材も津波の犠牲になってます。被災地は復興計画による規制で、今だに建築認可がおりません。自治体の復興による都市計画案は、これまで被災者と何度か説明会を持っているようですが、公共企業の再建が優先されています。
個人住宅を安全地域に移転建築しようとすれば余分な土地代がかかります。被災土地は下落しているのに、周辺土地は高騰しています。
アベノミクスもうまく回転すれば効果的なんでしょうが、今の被災状況には厳しいところがあるようにも思えますね。
  • |2013.03.13(Wed)
  • |matsuyama
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被災地に出向きお墓参りをしてきました。
まだ涙の乾いてない人が沢山です
そっちこっちの家があっただろう場所に花が・・・
泣きました。
  • |2013.03.13(Wed)
  • |みゆきん
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Re: 茶々さんへ☆彡 

こんにちは。

2年前の大震災発生直後、歩道整備工事を請け負っていた近隣の土木会社が、急遽市の要請を受け、被災地の瓦礫撤去に駆り出された経緯があります。それ以降は解体業者、建築業者が連日多忙な日々を送っているようですね。自分のところの水道補修工事も、指定業者は多忙で1ヶ月先、2ヶ月先の工事を余儀なくされてます。
こんな状況が続いてますから、震災で影響のなかった内陸部の業者が応援に入るなど、機転のきいた工事はできないもんでしょうかね。
他地方から応援出向を受け入らざる地方行政も、公共事業管理には手をこまねいているようで、今後はCM方式による発注管理をしていくことによって、人材不足による弊害を回避できるかと思いますけどね。

  • |2013.03.13(Wed)
  • |matsuyama
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Re:  くろこ姫さんへ☆彡

阪神淡路の大震災の時も復興には10年かかったといいますから、2年そこそこで復興できるとは思っていませんが、その遅れは顕著ですね。
生活者の足でもあった三陸沿岸を縦断するJR線でさえ、今だに復旧の目途が立ってません、代替の交通機関でしのいでますが、地元住民にとっては不便を虐げられています。仮設住宅入居者にしても稼ぎ手の若い人がいればいいのでしょうが、車を持たない高齢者夫婦での入居は通院や移動等、不便であります。
震災前、平常に運行していた利用者の少ない列車でも、不通になった今、いかに住民の貴重な足だったかということを肌に感じていますね。
1日でも早い復興は地元で暮らす被災者が痛切に感じていることだと思います。

  • |2013.03.13(Wed)
  • |matsuyama
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Re: みゆきんさんへ☆彡

供養の旅に宮城まで出かけられましたか。
自分も昨年、気仙沼まで行脚してきましたが、その惨状はこちらより以上に悲惨でしたね。
気仙沼には岩井崎という名勝地があります。そこは夏は海水浴場として地元の子供たちが楽しみ、通年は太平洋に突き出た岬に松が生茂る美観に、観光客も後を絶たないところです。
その日海に近づくにつれ、観光道路は寸断され、半壊したビルや倒木した松が潮風に打たれていました。1年半以上経ってたにもかかわらず、その名勝地は3.11に時間が止まってしまったかのように、ひっそりと人の気配がありませんでした。
自然の威力は人間の心をも、えぐってしまうのですね。

  • |2013.03.13(Wed)
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  • |2013.03.13(Wed)
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あれから……、2年が経ったのかと思うといまだにあの日のあの瞬間からの出来事の怖さと悲しみが甦ってきます。
遠く離れた九州でありながらも、テレビから流れてきた映像はまるで足元から崩れていくような東北と日本の姿でした。

私たちは絆という輝くばかりの言葉で支えてきたつもりでしたが、実は被災された皆さんの力強い2年間の生き方から多くのこと貴重なことを日々教えて頂いているような思いがしています。絆の逆発信を頂いているのではと思います。
まだまだ復興までの道のりは長いでしょうが、どうかお元気でこれからをお過ごし下さい。
  • |2013.03.13(Wed)
  • |まろゆーろ
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被災者のかたがたにお見舞い申し上げます

先月、福島県と宮城県の取引先へ
無償労働の提供をさせていただくために伺いました
その話を聞いた音楽家の亀井正比古先生夫妻が先日、
被災地に向かわれ、浄土ヶ浜の話もなさっていらっしゃいました

西では正直、温度差を感じます
だから九州出身の復興大臣だった人が無責任発言などをします
私は広く現状を伝えたい、と思っています
  • |2013.03.13(Wed)
  • |FREUDE
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Re: まろゆーろさんへ☆彡

実を言うと、あの津波で町が大惨事になっているとは思ってもいませんでした。
地震直後から停電になりテレビは映らず、新聞も配達されませんでした。携帯電話は不通で、全く社会と隔絶されてしまい、町の様子を伺い知ることができませんでした。2日後の電気の復旧でテレビを見、一変した地獄の町に驚愕したものです。津波による災害は地元住民より皆さんの方が先にご存知だったかもしれませんね。
震災直後は荒廃した町で店舗の商品の盗難、強姦などが横行し、治安が乱れていました。海外の報道では秩序ある日本人の典型みたいに美化されてましたが、現実には町内会や消防団による夜間のパトロールが必要なほどでした。無理もないですね。開いてるスーパーなどは長蛇の列で、ほとんど食料品の在庫がありませんでしたからね。

そんな中で生まれた「絆」。全国各地から叫ばれたこの言葉は、半信半疑なところもありました。治安が回復しない中で「絆」という言葉をどこまで信じていいのだろうか。人々の叫ぶ絆とは平然と横行するかっぱらい、強姦などを支援する意味なのかと、絆と聞くだけで背筋に冷水が血走っていたような時もありました。その後の風評、瓦礫の受入れ反対などは色褪せた絆になっていたような気もします。視野が狭かったのでしょうね。
治安も回復し、被災者の心理も安定期に入った今日、大局的に視野が広がり、絆の強さを感じております。皆さまからの温かいメッセージ、心強い激励の言葉には感謝しても感謝しきれない程です。
先日の追悼式で遺族の挨拶をした高校生の山根りんさんの、優しく見守っていただいた皆さまへの感謝として、今後力強く生きていくことを誓います、という言葉が被災者の偽わざる気持ではないかと思います。

  • |2013.03.14(Thu)
  • |matsuyama
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Re: FREUDEさんへ☆彡

被災地の撮影取材お疲れさまでした。
FREUDEさんのように被災地の現状を写真で紹介していただくと、皆様に真実の実態と窮状をお伝えいただけますよね。ご本人にとっては時間と費用のご負担で大変なご苦労でしょうけど。

被災して2年。人々は徐々にその凄惨な出来事を忘れかけていると思います。被災地では連日目の前で過去を引き継ぐ惨状を見ることで壮絶な悲劇を忘れることはできませんが、被災を免れた地域、一部の方の記憶が薄れていっても仕方ないことでしょうね。喉元過ぎれば熱さも忘れるで、自分も阪神淡路大震災のことは忘れかけてますから。
同時に被害を受けなかった方にとってその被災者の切実な苦悩は分らない訳で、大臣の無責任発言に繋がってしまうんでしょうね。音楽家の亀井先生も被災した浄土ヶ浜を視察されたんですか。著名な方に被災した実態をご覧いただき、現状を伝えていただくと、1人でも多くの方々が惨状への認識を深めていただけるでしょうね。
  • |2013.03.14(Thu)
  • |matsuyama
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matsuyamaさんへ!!

おばんです!
震災に対する畏敬の気持が良く伝わり感動いたしました。
天皇家に置かれましても、関東震災、戦争、神戸震災と、深い悲しみを御霊に捧げられ感激いたします。
この教訓は決して忘れてはいけませんですねー。
復興には数多くの障害がありますが、自治体と国を挙げて被災者と避難民の苦しさをいち早く解決するよう期待します。!
  • |2013.03.14(Thu)
  • |荒野鷹虎
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Re: 荒野鷹虎 さんへ☆彡

天皇皇后両陛下にはこの震災後、被災地の宮古にもお見舞いに来ていただきました。
避難所を慰問していただき、被災者1人1人に励ましのお声を掛けられました。
心労が重なったのでしょうか、体調を崩し入院治療されていましたが、今は通常の執務に付いておられるようですね。天皇陛下も律儀な方ですよね。皇室の執務とはいえ、健康を害してでも国民の健康安全を心から見守ってくれています。もうご高齢ですから、ご無理をなさらなくてもいいものをなどと逆に体調を案じてしまいます。

今後も復興には紆余曲折の日々が続くと思います。個々の力不足を補っていただくためにも、皆さんのご理解と政治の力で震災前の平和な日常が甦るようお力添えいただけることをお願いしたいところであります。

  • |2013.03.15(Fri)
  • |matsuyama
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おはようございます♪
いつもどうもありがとうございます♪

震災からまる二年
いろいろみなさま思うこともあると思いますが
自分もそちらほどではないにせよ鮮明に覚えてます
東京湾の埋立地にいたせいか、道路がうねってるのを
まじまじと見たのが今でも頭に・・・
震災で被害に遭われたかたお見舞い申し上げるとともに
いち早く復興を願います。

またよろしくお願いいたします♪
  • |2013.03.16(Sat)
  • |スーパーサイドバック
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Re: スーパーサイドバックさんへ☆彡

こんばんは。いつもありがとうございます。

関東にも地震による影響はありましたね。千葉の住宅地では地震による液状化現象が発生し、住宅が傾いたり埋設された水道管などが断裂したりで混乱していました。少なからず地震の影響は広範囲に渡ってますよね。
地震研では今後数年の間に首都圏直下で大地震が発生すると予測してました。もし予想が的中したとしたら、被害は甚大だと思います。東日本大震災の比じゃないでしょうね。
昔、小松左京さんの「日本沈没」という小説がありましたが、現実にならない事を願うだけです。

  • |2013.03.16(Sat)
  • |matsuyama
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こんばんは。

このお話になるとどう書いたらいいのかなと悩みます。
matsuyamaさまのコメントのお返事の言葉を読むと、
記事に書いてあること以上に、厳しい現実が見えてきます。
だからこそ、余計に書けませんでした。
でも、現実はこうであった、そして、今はこうであるということ、その真実、
それがわからない人にとって、matsuyamaさまが書く記事は、
とても意味があるのだということ、それをお伝えしておきますね。
一日も早い復興を心から願います。
そして、形だけではなく、そこで暮らしていらっしゃる方々の心が
少しでも回復されることを心から願います。

  • |2013.03.19(Tue)
  • |りー
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Re: りーさんへ☆彡

こんにちは。

頭を悩ませてしまいまして申し訳ありません。
コメント返しにはできるだけ被災地の現状をかいて皆さんに知っていただこうという気持ちで書いてきました。見る人によってはそれが負担になり、堅苦しいと思われる方も多いかもしれません。気軽にコメントできないよ、などとね。
りーさんのようにご理解いただき、頭を悩みながらもペンを取っていただいたということは、すごく嬉しく感謝に耐えません。私たち被災者の皆も、リーさんはじめ全国皆さんから寄せられた多くの励ましに応え、元気を取り戻さなければならないですね。
今後も節目となる年、あるいは大きな変化があった時には、できるだけ被災地の動きを綴っていきたいと思います。どうぞ目をそらさずに見守っていただき、良きご指導をお願いいたします。

  • |2013.03.20(Wed)
  • |matsuyama
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