初盆で母を供養

人が亡くなった後の供養というものはいろいろあるものだ。
先日忌明けの法事が終わったばかりだと思っていたら、今度は初盆だ。
また帰省して母の供養をしなければならない。
面倒だというわけではないが、生前は2ヶ月の間に3回も帰省する事はなかった。
親孝行したい時には親はなし、とよく言うが母の生前は親孝行もせず、
亡くなってから親孝行の真似事をする自分に、こんなもんでいいのだろうか、
と思ってしまった。

翌年からは1周忌、3回忌と法事が続く。
今思えばいい母親だった。炬燵に座って何も言わず、
ただじっと自分を見ていてくれた姿が思い出される。
安らかに天国で眠ってほしい。

母を供養する法事はメチャクチャ

母の四十九日忌明け法要があった。


心配していた事が的中してしまった。
葬儀のあと、帰京する際実家の近くに住む兄に法事の準備を頼んであった。
頼んだ以上あまり口出しできないのだが、あまりにも期待はずれには閉口した。
親戚兄弟への案内、お寺の手配、会食会場の手配とここまでの準備は良かった。

最後の粗宴会場での出来事。開始時間が近付いてもスタートする様子が見受けられない。
それもそのはず司会進行する人がいない。
その兄はしっかりと席に着いたまま涼しい顔をしている。
葬儀での親戚問題で2度と失敗を繰り返さないよう気を使い、
招待者のメンバーや席順決めに大変だった事はよくわかる。
しかし、一任したのはそこまでではない。会食のスムーズな進行まで期待していた。
進行役のいない会食なんて、締りの無い食事会みたいなものだ。


見るに見かねて兄に進言した。「司会は誰がやるの?」
挨拶をいただく人だけは依頼していたが、進行にはなんら関知していないようだ。
自分が出来ないんなら誰か適任者を探し、事前に依頼しておけばいいじゃないか。
そこまで頭が回らなかったのだろうか。無責任だ。
これが会社主催のイベントだったら、回りからブーイングだ。
責任問題に発展しかねない。
もっとも70歳過ぎの高齢者に準備を頼んだ自分が悪かったのかもしれない。

主催者の挨拶も無い。献杯の音頭も無い。
かろうじて東京の兄二人による親戚紹介で場をもった。
依頼してあった親戚の挨拶は、故人をそっちのけで取り留めの無い自慢話を延々。
しらけた会場内を閉めるには、自分がお礼の挨拶をし、早めに解散するしかなかった。
喪主代理だから幹事役を務めなければならないんだろうが、
招待者も気持ちよく接待しなければならない。
お酌をして回り、お酒の追加注文を取り、帰りの送迎バスの手配をし、料金の精算をする。
このときばかりは会場内を走り回ってしまった。

天寿を全うできたか母の死去

2005年6月20日午前4時37分、満92歳で母が世を去った。


5月に最後の対面を果たしたとはいえ、死に目には会えなかった。


聞くところによると、最期は穏やかに息をひきとったそうだ。
前日までは意識もしっかりし、食もあったという。
気丈な母だけに苦しさも、痛さも吐露しなかったのかもしれない。
女だけに苦しまず、乱さず、最期まで心していたのかもしれない。 


訃報を受け、早朝車を飛ばし、母と別れの対面をした。

自宅に戻っていた母は、穏やかに笑みをも浮かべている感じにさえ見えた。

家庭の事情もあり、自分が喪主を務め、見送ることになった。
悲しみに浸っている余裕などない。
明後日に控えた葬儀の準備を進めなければならない。


仕事柄手順はわかっているとはいえ、地方と都会のしきたりは全然違う。
具体的な違いは機会があったら記すとして、
後から後から吹き上げてくる親戚問題に、
いまは母を安らかに送れることができるだろうか、と考え込んでいる。

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